飾り窓
episode 03
髪がギリシャ彫刻のように巻き毛で、背が高いイザベラよりも、拳ふたつ分ほどは背が高い。だから、イザベラがお気に入りのヒールを履いても大丈夫だと言った。
彼の弾くバイオリンは、それはそれはすてきな音を出すのだという。
この前のイザベラの誕生日には、ゴッホのひまわりが描かれたTシャツをプレゼントしてくれたの、と言った。
「彼は、わたしがひまわりを好きなことをよく知ってるのよ」
でも……と、言いたげなわたしを押さえ込むように、イザベラは話をどんどん続けた。
携帯電話を開いて、彼の写真をわたしに見せた。
そこに写っていた男の髪はイザベラより少し明るいブロンドで、眉は太く瞳はきれいなブルーだった。確かにカールしたその髪は、どこかでみたギリシャ彫刻みたいだった。
イザベラは、彼が自分をとても愛してくれるのだと言った。
それからうっとりとした目で付け加えた。
「会うといつも、世界一、優しいキスをしてくれるのよ」
飾り窓での詳しいことを、わたしは知らなかった。
誰も11歳の子供に教えてくれるわけもなかった。イザベラに聞いても、誰に聞いても教えてはくれなさそうだから、こっそりと嗅ぎ回ることにした。
昼から夕方まで、たくさんの人が通るタイミングを見計らって、アコーディオンを弾いた。
残暑から秋にかけては観光客も多いので、クッキー缶にはそこそこのチップが集まっていた。いつかの男のように、変なことを言って絡んでくる者もいなかった。
トラ猫は、ごろにゃんとどこからか現れて、またわたしの周りをちょろちょろしていた。
こそこそと歩き回り、飾り窓の女が男たちと直接交渉していることがわかった。
「20分で50ユーロだよ」
それが聞こえてきたときには、飛び上がるほど驚いた。
たった20分で50ユーロももらうなんて、わたしの缶にそれだけのお金が入るには何回アコーディオンを演奏しなくてはいけないのだろう。何日も、何日もかかる金額だ。
ラッキーなときは何日かでその金額になることはあるが、シーズンオフだと絶対に1週間以上はかかる。イザベラが、飾り窓の仕事の方が多く稼げると言った意味がわかった。
お針子の仕事がどれだけのお給金かわからないが、一日に何人も客を取るという飾り窓の仕事のほうが、ぜったいにたくさんお金が入ってくるのだろう。
ある日、イザベラがひいき客の要望で、今夜はいつもの部屋ではなく、大きな部屋を借りるのだと言った。
わたしは、イザベラにその部屋を見せて欲しいと頼んだ。
イザベラが「いいよ」と軽く答えてくれたので、彼女を追いかけてその部屋について行った。肩からは、ひまわりのサコッシュを提げていた。
場所は、いつものイザベラのレンタル部屋よりも1本大通りに近かった。
着いてすぐにイザベラの電話が鳴った。
「――ええ。そんなに? うんわかった。……そうね。そんな事情なら仕方ないわね。お金は来週までに用意しておく。ハニー、次はいつ会える? そんなに会えないの? OK……。ラブユー」
あの巻き毛の男と話しているのだと思った。
「あぁ。今日もたくさん稼がなきゃ」
イザベラが呟いた。
――簡単に稼げる仕事だけど、簡単ではないわね……。
そう言ったイザベラの顔をわたしは思い出していた。
部屋の壁は深紅のビロードで、床にも一面のビロードが張り巡らされていた。もっとも、そのゴージャスな布地が、“ビロード” だとわかったのは、イザベラが「素敵なビロードの壁だわ」と言ったので、それをそう呼ぶのだとわたしは理解した。
見上げると、光に揺らめくシャンデリアが部屋の隅々に上品な眼差しを向け、ふさふさの白く毛足の長いラグは、スツールの上や、ベッドの足元に堂々たる存在感で鎮座していた。
硝子のテーブルには、銀のトレーがあって、そこにはペアになった細く背の高いグラスと、中くらいの高さのグラス、そして腰のない寸胴のグラスが並んでいた。
壁際に置かれた猫足の硝子棚の中には、お酒が何本か立っていて、その下にはカラフルなコンドームが美味しそうなスイーツのように並んでいた。
この国の性教育は早い。小さな頃から大体習っているのでコンドームはもちろん知っている。ただ、ここに並んでいるようなポップなお菓子のようなものを、ショウウィンドウで見かけたことはあったが、こうして間近に見るのは初めてだった。
じっと見つめていると、
「なによマノン、興味津々ね。食べ物じゃないのよ」
と言ってイザベラはおかしそうに笑った。
「ねえイザベラ。このコンドーム、どうしてこんな色なの?」
コンドームの下の段に置かれていた、“トーイ” と書いてある、いろんな形をしたゴム製のおもちゃも、すべてカラフルな色をしていた。
ピンクやパープル、ラズベリー色やレモンイエローは、どこかわくわくして楽しげだ。
「カラフルな色って、人の心を弾ませるのよね。わたしがいつかやりたい店は、カラフルだけど暖かな色味の内装にしたいわ。こんなふうにアンティークなテーブルを真ん中にしてソファも置いて、くつろげる部屋のようなショップにしたいの。お金を貯めないと無理だけど……」
指先を立てて、毛足の長いラグを撫でながらイザベラは言った。
わたしはイザベラの言葉を背に、ベッドの向こう側を見つめていた。飾りカーテンの分厚く丸い空間があった。
(そこにしよう)
いつもの部屋は狭いから隠れるとこなんてないが、この部屋なら大丈夫。
後で、こっそり戻ってくるつもりだった。
<続く>
AUTHOR
西尾潤 (にしお じゅん)
2019年『愚か者の身分』で第二回大藪春彦新人賞を受賞し小説家デビュー。現役でヘアメイク・スタイリストとしても活躍する新進気鋭の小説家。大阪府出身。