短編小説集





エリザベート
episode 02
お待たせしてごめんなさい。
案内所で入城料をお支払いしてきたわ。今は他のお客様がいないから、貸し切り状態ですって。

そうなの、チェイテ城は山の上に建っているから、緑に覆われた周囲の山々の稜線や、川や街が一望できて、とても美しいでしょう。
この景色だけを見ていたら、ここで夜な夜な残虐な殺戮が繰り返されていたなんて、とても想像できないわよね。

ええ、エリザベートが血に執着するようになったのは、折檻した侍女の返り血を浴びてからだといわれているわ。
若い娘の血がかかった部分だけ肌が白く若返り、それを求めて惨殺を繰り返すようになったと。

本当にそれほどのアンチエイジング効果があるのなら、わたくしもぜひ試してみたいわ、ふふ。

でも、彼女は血だけを求めていたわけではなかったのかもしれない。悪名高き鉄の処女を作らせたり、内側に刃物が付いた大きな鳥籠に娘を入れて吊るしたり、焼けた火かき棒を喉の奥に突っ込んだりして、娘たちに苦痛を与えたのは、自分が失くしてしまった若さへの嫉妬と羨望があったからじゃないのかしら……。

写真、お撮りしましょうか?
え?
わたくしも一緒に?
SNSに投稿なさるの?
ごめんなさい、写真は苦手なのよ。

あそこは壁が残っていて建物の中に入れるから、撮影に向いていると思うわ。
ええ、そのあたりに立ってもらえるかしら。はい、笑って!

どう?
確認してみてくださる?

よかった、素敵に撮れて……、ああ、それ、オーブだわ。暗い場所だとやっぱりたくさん写ってしまうのね。

ええ、このさまよう光の玉は、惨殺された娘たちの怨念だといわれているわ。

ほら、あの一番高い建物。あれが、エリザベートが幽閉されて、亡くなった塔よ。
城に奉公へ出した娘たちが帰ってこないと問題になり、最後は貴族の娘までをも殺害したエリザベートの悪事はついに暴かれ、人々を震撼させた。けれど、それだけ多くの命を奪っておきながら、高貴な身分ゆえ死刑になることなく、窓を塞がれた暗い部屋に閉じ込められてたったひとり、54歳まで3年半も生きていたらしいわ。

彼女に惨殺された娘たちの怨念が渦巻くこんな場所で、エリザベートはどんな想いで暮らしていたのかしら。

光のない世界での生活は、若さと美貌に執着し続けた彼女にとって救いだったかもしれないわね。だって、もう二度と、鏡に映る自分の姿を見ずに済んだんですもの。


閉城時間ギリギリになってしまったわね。

優希さん、楽しんでいただけたかしら?

よかった、そう言ってもらえて嬉しいわ。
でも、期待されていた怖い体験はしていただけなかったわね。

霊感がないのはわたくしも同じだけれど、それでもここへ来ると、いつもなにかしら怖い思いをさせられるわ。
すすり泣くような声が聴こえたり、誰かに見られているような気がして鳥肌が立ったり……。
廃墟とはいえ、見晴らしのいいこんなにきれいな場所なのに。

ああ、そうね、今日もエリザベート・バートリが幽閉されていた塔の前で、一瞬、動けなくなってしまったわ。冷たい手に背筋を撫でられたような気がして足を止めたら、まるで誰かがぶらさがったみたいに肩が重くなって……。

憑依された?
エリザベート・バートリに?
それ、優希さんが望んでいることじゃなくって?
そうなったら、怖い体験ができるかもって、ふふ。あなたって本当に面白い方ね。

そこの駐車場に車を停めてあるの。チェイテ村に宿泊されるなら、お送りしましょうか?
それとも、今夜のお泊りはブラチスラヴァのホテルかしら?

え?
予約していらっしゃらないの?
このあたりの村では英語もあまり通じないから大変よ。すぐに暗くなるから、急いで宿泊先を決めないと……。

ええ、ブラチスラヴァに行かれるなら、わたくしも帰り道だし。ただ、ここから1時間半くらいかかるけれど、大丈夫かしら?

ちょっとお待ちになって。助手席に荷物があるから、後ろに乗ってくださる?
ごめんなさいね、汚くて。

じゃあ、ブラチスラヴァへお送りするわね。

どうかなさったの?
なにか臭うかしら?

変な臭いってどんな?
昔、病気をして、鼻が利かないからわからなくて。

これで、どう?
ええ、消臭スプレーよ。少しはよくなったかしら?
ここに置いておくから気になるようなら遠慮なくお使いになって。
預かりものの衣類を積んでいるから、それが臭ったのかもしれないわ。

そう、よかった。じゃあ、出発するわね。

スロバキアにはいつまでいらっしゃるの?
決めてないって、じゃあ、宿泊施設や移動手段もなにも予約せずに?

優希さん、学生さんよね?
春休みいっぱいヨーロッパの心霊スポットを放浪されるおつもりなの?
そのわりには軽装だし、旅慣れていらっしゃるのね。

えっ、嘘でしょ、はじめての海外旅行なの?
すごい勇気ね。

国内の最恐スポットは行きつくしたからって、日本と海外では勝手も危険度も全然違うじゃない。それに英語が通じない場所だってあるし……、ええっ、英語も翻訳アプリ頼みなの?
あとはジェスチャーでって……、なんだかわたくしのほうがドキドキしてきたわ。

ペトラのところに泊めてもらうおつもりだったの?
優希さん、それは勇気じゃなくて無謀よ。SNSでやりとりしただけなんでしょう? もしかしたら本当は男性かもしれないじゃない。
ううん、ペトラは女子大生だけど、そういう危険性だって考えられるでしょ。

優希さん、ご家族は?
田舎にいらっしゃるお母様は、あなたのことを心配なさっているんじゃなくって?

えっ、言わずに来たってどういうこと?
別々に暮らしていたって、2カ月近くも連絡がとれなかったら、当然心配なさるでしょう?
母一人子一人なら、なおさらよ。

……そうね、優希さんのご家庭の事情もわからないのに、余計なお世話だったわね。

ううん、大丈夫よ。気を悪くなんてしてないから。考え事をしていただけ。ペトラのことを……。
彼女は一人暮らしだけど、今夜、あなたを部屋に泊めることはできないわ。

いいえ、ペトラが今日、来られなかったのは体調を崩したからじゃないの。
実は、数日前から、行方がわからなくて……。

<続く>
AUTHOR
美輪和音 (みわ かずね)

2010年『強欲な羊』で第7回ミステリーズ!新人賞を受賞し小説家デビュー。脚本家としても数々の作品を手掛け、代表作は映画『着信アリ』シリーズ。東京都出身。