エリザベート
episode 01
これは、昨日の自分に言っても信じないだろう。
廃墟と化したチェイテ城で、こんなにゾクゾクする光景を目の当たりにできるなんて。
城壁の門を背に立つ女性の冷たい光を放つような白蝋の肌、翳を湛えた色素の薄い瞳、見た者の心を不安にさせ、畏怖を抱かせる硬質の美貌――。
ああ、今、目の前にいるのは、400年の時を超え、中世から現代に甦ったあのお方なのでは……。
優希さん?
はじめまして。
ごめんなさいね、ペトラが急に来られなくなってしまって。
よろしければ、わたくしが代わりにご案内を……。
どうかなさった?
まるで雷に打たれたみたいに立ち尽くしていらっしゃるから。
……もしかして、何か視えてます?
ああ、違うなら、いいの。ごめんなさい、変なことをお訊きして。
霊感の強い方には、おつらいみたいなのよ、ここ。たくさん視えてしまうらしくて。
日本語?
もちろん話せますよ。半分日本人ですもの。ええ、母がこちらの人間なの。
ペトラとはSNSで知り合われたんですって?
大学生の彼女の友人がこんなおばさんで驚かれたでしょう?
この間なんてペトラの母親と間違われてしまったわ。実際、歳が二回りも離れているから仕方ないけれど。
まぁ、そんなに驚いていただけて、お世辞でも嬉しいわ。
優希さん、チェイテ城へは、初めていらしたの?
やっぱりお目当ては、彼女かしら?
あなたみたいに若くて可愛らしいお嬢さんも、怖い話がお好きなのね。
血の伯爵夫人を求めて、日本から遠く離れたスロバキアまでいらっしゃるなんて。
っぽい?
なんのお話?
えっ?
わたくしがエリザベート・バートリっぽいって、おっしゃるの?
美貌と若さを保つために、600人もの若い娘をなぶり殺し、搾り取った血の風呂に身体を沈めた血の伯爵夫人っぽい……?
それって喜んでいいのかしら。ふふ、わたくしも平気で人を殺めそうに見えるってことでしょう?
まぁ、憧れの人なの?
エリザベート・バートリが?
優希さん、ちょっと変わってらっしゃるのね。でも、憧れのエリザベートっぽいって言っていただけて光栄だわ。
あら嫌だ、自己紹介がまだでしたわね。また、っぽいって言われてしまいそうだけれど。
エリ……と、申します。どうぞよろしく。
あ、でもこの名前はもちろん、エリザベート・バートリから頂戴したわけではなくってよ。
では、まいりましょう。当城の主、エリザベートがご案内いたしますわ。
13世紀半ばに建てられたチェイテ城が、エリザベートの居城となったのは16世紀。15歳で結婚し、54歳で亡くなるまでその人生の大半を、エリザベートは村はずれの丘の上に建つこの寂しい城で過ごしたそうよ。
城は18世紀の初めに戦争で破壊され、現在は城壁を遺すのみだけれど、この砦のような石造りの壁のアーチをくぐってお城へ入っていく感じ、素敵でしょう?
この先にある2番目の門をくぐると、さらに中世の雰囲気が味わえるわ。
なんてガイドさんっぽいことを言ってみたけれど、ペトラに頼まれて来ただけで、特別チェイテ城に詳しいわけじゃないの。そんなにエリザベート・バートリがお好きなら、優希さんのほうがわたくしよりもよくご存じかもしれないわ。言葉だけはわかるから、中にある施設の展示物なんかの説明は翻訳させてもらえるけれど。
え?
怖い体験がしたくてここへいらしたの?
他にもヨーロッパの心霊スポットを回るおつもりって……、イギリスのチリンガム城やアイルランドのリープ城?
ごめんなさい。残念ながら行ったことがないわ。拷問などでたくさんの命が奪われた血塗られた歴史を持つ場所なの?
幽霊城巡りをするためにヨーロッパへいらした方に初めて会ったわ。
優希さん、一人旅なんでしょう?
そんなところばかり訪れて、恐ろしくならない?
まぁ、怖い思いをしたことがないの?
それを求めて旅してらっしゃるなんて、すごいわね。
チェイテ城なら、優希さんの希望が叶うかもしれないわ。貧しい村から連れてこられ、城での暮らしに胸をはずませてこの門をくぐった600人もの若い娘たちは、凄まじい拷問を受け、二度と生きてここから出られなかったんですもの。
よかったら、あとでこの城の管理人さんにお話を伺ってみましょうか。城の近くで宿直されているから、怖い体験をたくさんなさっているそうよ。でも恐ろしくて続かず、すぐ辞めてしまうと聞いたから、その方もすでにいらっしゃらないかもしれないけれど。
<続く>
AUTHOR
美輪和音 (みわ かずね)
2010年『強欲な羊』で第7回ミステリーズ!新人賞を受賞し小説家デビュー。脚本家としても数々の作品を手掛け、代表作は映画『着信アリ』シリーズ。東京都出身。